シェール・バブルの破裂がせまるか

 世界経済は不気味な様相を呈している。シェール・バブルが破裂する諸条件がととのいつつあるからである。七月末までは一〇〇ドル台(一バレル当たり、先物期近)で推移していたアメリカ市場の原油価格は、十月初めには九〇ドル割れとなり、十一月六日には七七ドル台へと急落した。これまでは、原油の価格が下落したときには、サウジアラビアが原油の減産にふみきり、その価格を下支えしてきたのであったが、この国は、十月一日に逆に輸出価格を引き下げた。十一月二十七日のOPEC総会をまえにしても、この国の権力者は、減産についてまったく言及してはいない。
 このことからするならば、アメリカでのシェールオイルの増産に対抗して原油市場での自国のシェアを守るために、原油の生産量を従来どおりに維持しその価格の下落を静観する、という態度に、サウジアラビア権力者がうってでた、といえる。原油価格が八〇ドルを割り込めば、シェールオイルの生産は採算が合わなくなる、と言われている。だから、アメリカでのシェールオイルの生産を縮小に追い込むためにこそ、原油の価格が下がっていくのを、この権力者はじっと見守っているのだ、と言ってよい。
 サウジアラビアでの原油の生産に要する費用は一〇ドル台である、と言われている。と同時に、原油の輸出収入に全面的に依拠しているこの国の国家財政、この財政を維持していくためには、この国は原油の高価格を必要とする。国際通貨基金(IMF)によるならば、サウジアラビアの財政均衡に必要な原油価格の「損益分岐点」は、二〇一二年の七八ドルから、一三年には八九ドルに上昇した、とされる。原油価格の下落による国家財政の逼迫にかんしてはこれまでの蓄積金を取り崩してしのぎつつ、アメリカのシェールオイルの生産にうち勝つ、ということを、この国の権力者は目論んでいる、といえるであろう。
 だが、原油価格の急落は、サウジアラビア権力者の思惑をも超えて、悲惨な事態をもたらすことになる。中国の景気の後退やEU諸国の深刻な不況のゆえに、原油の消費が増大に転じる余地はない。他方、投資に次ぐ投資をかさねてきたアメリカでのシェールオイルの生産は、破局までは、その拡大の勢いがやむことはない。
 この下落は、日本銀行による追加的な金融緩和策の実施をやすやすと破綻に追いこんでしまうであろうことは言うまでもない。
 問題は、アメリカでのシェール・バブルが破裂することになる、ということである。
 アメリカ市場での天然ガスの価格は、二〇一四年二月には一時的に、一〇〇万BTU(英国熱量単位)当たり五・九七ドル(月間の平均価格)に上昇したのであったが、八月には四ドルを切り、十月には三・八七ドルとなった。シェールガスの開発・生産のコストは四~六ドル程度と言われてきた。いまでは、より困難な地層を掘らなければならないことのゆえに、この値はもっと高くなっているであろう。それを考慮に入れないとしても、ここ何年も、アメリカでのシェールガスの生産は採算割れとなっていたのであり、ガスに随伴して軽質油も生産されるかぎりにおいてその採掘井の赤字幅は縮小され、シェールオイルを生産する井戸から随伴してメタンなどのガスが採取されるかぎりにおいてそれは採算の合うものであったのである。いまシェール層からオイルを採掘している企業のほとんどは、シェールガス鉱を買いあさりこれを開発しガスを生産することから始めたのであり、原油価格がシェールオイルの採算ラインである八〇ドルを切ったという時点では、これらの企業、ないしこれらの企業のシェールオイル・ガス部門は、すでに膨大な赤字を抱えているのである。こうした企業に外部から投資資金がつぎつぎと注ぎこまれてくることのゆえに、このことがおおい隠されているにすぎない。アメリカの金融当局(FRB)が利子率の引き上げに転じるとかというような、何らかの諸条件のもとでこの矛盾が一挙に顕在化し、破局がおとずれることになる。バブルの破裂である。
 二〇〇〇年代初頭のアメリカでのIT革命のときには、光ファイバーを敷設するとかというような生産的事業そのものにおいて赤字から脱却している企業は一つもなかった。その赤字を圧倒的に上回る投資資金をよびこんで、これらの企業は急成長をとげたのである。サブプライムローン・バブルのときには、低所得者向けの住宅というように、そのバブルの物質的前提はもっと貧弱なものであった。シェールオイル・ガス事業の急拡大が、各国権力者どもによって、そして世界の独占資本家どもや投資家たちによって、また経済学者たちによって、さらには民衆によって、あたかもバブルではないかのように認識され、当該部門に資金が注ぎこまれているのは、当初は高い天然ガス価格のもとでシェールガスが利潤を生むものであったからであり、このガスの生産が採算割れとなったあとでも、高い原油価格のもとでシェールオイルが利潤をもたらしていたからである。まさにそうであるがゆえにこそ、ふくれにふくれあがったこのバブルの破裂は劇的なものとなるにちがいない。FRBは、量的な金融緩和策の実施というかたちで、このバブルを膨張させる通貨をふるまってきたのであり、日本銀行はいま追加的なそれというかたちで、アメリカ権力者のお先棒をかついでいるのである。
                                    二〇一四年一一月一一日